漁船漁業、養殖業、水産加工業など、海を中心とした産業で成り立っている気仙沼。自然との共生を大切にしながら発展してきた生業は、港町の歴史や独自の文化形成にも結び付いています。これらの醸成を支えたのは、先人たちの英知やたゆまぬ努力。いつの時代も伝統の中に新しい挑戦や多様性を取り入れながら、さらなる成長を続けてきました。その港町の成り立ちや文化、人と自然の関わりについて紹介します。

漁業や漁師文化の発展は、豊かな自然や風土があってこそ。気仙沼に住む人々は遠い昔から、リアス海岸特有の地形、寒暖両流が交わる三陸沖、山と海が隣接する環境など、恵まれた条件を最大限に活用して暮らしてきました。

豊かな漁場

世界三大漁場に数えられる三陸沖は、暖流の黒潮と寒流の親潮が交わる好漁場。マグロやカツオなどの暖流系の魚、サケやサンマなどの寒流系の魚が混在し、気仙沼の漁業に大きな恵みをもたらしてきました。

また、いくつもの湾や岬が入り組んだリアス海岸の地形は、小型船漁業のほか、養殖に絶好の環境を形成しています。外洋の影響を受けない波の静かな内湾は、川の水が海へ注ぐ汽水域。山と海の豊かな栄養を享受し、カキ・ホタテ・ホヤ・ワカメ・コンブなどの養殖が発展しました。気仙沼は世界に先駆けて、養殖業を通じた植樹活動を始めたまち。海を守るための森づくりの取り組みが広がり、森・川・里・海のつながりを大切にする精神が地域に根付いています。

《 気仙沼の旬カレンダー ~魚介編~ 》

よど(イカナゴ)、しらす(イカナゴ、イワシの幼魚、シラウオ)、サクラマス

ホヤ、ウニ、カツオ、マンボウ、もうか(ネズミザメ)

サンマ、イカ、もどりガツオ、イワシ、サバ、サケ、カレイ、タコ、 カニ、どんこ(エゾイソアイナメ)

マグロ、カジキ、タラ、ナメタガレイ、アワビ、カキワカメ

海と山の恩恵を漁業に生かすためには、技術の向上や時代への対応も必要です。漁船の動力化がもたらした気仙沼漁港の発展や漁法の進歩についてお伝えします。

漁船漁業の躍進

海と山が非常に近い気仙沼では、古くから木材を利用して舟をつくり、海の魚を獲って生活してきました。その後、造船の技術が躍進したのは明治時代。陸上交通の進歩により、明治の頃まで活躍していた廻船は帆を下ろし、動力化された漁船での遠洋・近海漁業が活発化します。1920年には日本で初めて、本格的な冷凍設備をもつ産地冷蔵庫が建設。それまではサンマなどを塩蔵タルに詰め込んでいましたが、魚や加工品を長く保存して出荷できるようになりました。また他地域から気仙沼に寄港することで、新しい文化や習俗も外来。海からの恵みや異文化を受け入れる地域特性から、多様性が輝くまちへと発展しました。

遠洋・沖合漁業

寒流と暖流が交わる世界三大漁場の一つである三陸沖漁場を目の前に控え、古くから沖合漁業や世界中に展開する遠洋マグロ漁船の基地として栄えてきた気仙沼漁港。全国各地からマグロ延縄漁船やサンマ棒受け網漁船、カツオ一本釣り漁船などが入港し、多様な魚種が水揚げされ全国屈指の水揚げ量を誇ります。

マグロ延縄漁は、全長150kmに達する延縄に約3千本の枝縄と釣り針がつけられており、最も過酷を極めるのは揚げ縄作業で14時間は続きます。

気仙沼漁港の発展

三陸沖の主要な水揚げを誇る気仙沼漁港は、日本の水産業において重要な役割を担う「特定第3種漁港」に指定。なかでもマグロ船の船籍数は全国屈指で、港に大型漁船がひしめき合うように浮かぶ光景は圧巻です。また漁港周辺には、魚市場や水産加工場、冷凍・冷蔵工場などが集まり、効率のよい流通経路が構築されているほか、製氷施設や燃油施設、造船所なども揃い、漁船のバックアップ体制が整っています。

2019年には、高度衛生管理を可能とした新魚市場が完成。国際的な衛生管理手法「HACCP」、商品の生産や流通過程を追跡できる「トレーサビリティ」にも対応可能な魚市場として、水産業のさらなる発展を目指しています。

多様な沿岸漁業

気仙沼では、遠洋・沖合漁業のほかに沿岸漁業も多く行われています。小型船漁業をはじめ、カキ・ホタテ・ホヤ・ワカメ・コンブなどの養殖漁業が盛んです。穏やかな内湾とリアス海岸が生み出す潮流など養殖に適した漁場があり、餌を与えることなく海水中の天然栄養分により成長しています。

山バカリと漁業

三陸沿岸は、重なり合った山々がそのまま海に沈降したようなリアス海岸の地形であり、海岸線は複雑で一つの湾の中にも多くの入り江や磯ができています。

漁場の見定めに使われる「山バカリ」には、「元バカリ」と「奥バカリ」という二つの基本的なハカリ方があります。三陸沿岸が北北東へ向かって心持ち斜めに延びているため、沖から見て西側の山を用いる「元バカリ」と北側の山を用いる「奥バカリ」の二つのハカリを交叉させることで、初めて海面の一点を定めることができるのです。この技術により、魚がたくさん獲れる場所を把握したり、翌日も同じ場所へ行くことができるようになりました。

水産加工業

気仙沼は、昔から多種多様な種類の水産物が水揚げされており、保存技術や流通体系が整っていなかった時代には長期に保存するために加工する必要がありました。

カツオ節や練り物(竹輪の発祥地とも言われています)の製造から本格的な水産加工が始まり、現在ではフカヒレが有名ですが、サメはヒレだけではなく身肉はすり身の原料に、皮は財布などの皮製品、骨は医薬品や健康食品として全てを余すことなく利用しています。

漁業に支えられてきた気仙沼では、海や風と向き合う生活が営まれてきました。自然の働きを暮らしの中に受け入れ、共に生かし合いながらの生活が育まれています。

「風待ち港」の歴史

気仙沼の内湾は、帆船が漁業の主力だった時代、船出の風を待つ港であり「風待ち(かざまち)」と呼ばれていました。内湾の地形や町並みは北西風が集まりやすいように埋め立てながら整備され、そこに気仙沼の魚市場が置かれていたのです。魚市場が現在地へ移転してからは、気仙沼大島への発着所としての役割を果たし、東日本大震災後には、商業施設「迎(ムカエル)」・公共施設「気仙沼市まち・ひと・しごと交流プラザ(PIRE7/創(ウマレル))」がオープン。内湾地区はまた新しい形で気仙沼の顔となり、多くの市民や観光客を迎え入れています。

港町ことばや習俗

 気仙沼では、北西風のことを「ナライ」、西風を「ニシ」と呼んでいます。ナライはかつて帆船の出港に適した風であったことから、「ダシノカゼ」とも言われていました。ほかにも漁師ことばとして、機械船になる前の和船時代の大漁旗は「オシルシ」、戦後の船の新造を祝う大漁旗は「フライキ」。漁の切り上げ時には船主や網主から漁師に「大漁カンバン」と呼ばれる“はんてん”が贈られ、それを着用して「神様参詣」を行いました。こうした習俗やことばからも、港町文化を見て取れます。

震災からの復興

東日本大震災の大津波によって、大正から昭和初期に建てられた港町文化の歴史を伝える建築群が損壊。その多くは解体されてしまいましたが、国登録有形文化財である角星店舗、男山本店店舗、武山米店店舗、三事堂ささ木、小野健商店土蔵、千田家住宅は修復・再建されています。また震災後に整備された防潮堤の上には、商業施設や公共施設を設け、海を近くに感じられる景観に。伝統と新しさが融合するまちづくりが進められています。