NPO法人 森は海の恋人 
理事長 畠山 重篤 さん

NPO法人 森は海の恋人
副理事長 畠山 信 さん

人の心を育てる

「森は海の恋人」運動

森・里・川・海は、一つのもの。
流域全体を見つめ、自然とのつながりを大切に

豊かな山の養分が海に流れ込む気仙沼では、カキやホタテなどの養殖業が発展。地元の漁師たちは養殖技術を磨くと同時に、海産物が育つ自然環境の保全にも努めてきました。その活動を牽引してきたのが、NPO法人「森は海の恋人」の理事長・畠山重篤さんです。気仙沼市唐桑町の舞根湾でカキを育てる重篤さんは1989年、海を守るために植樹活動を開始。水源の山に木を植えることで、流域全体の環境を守り育てる運動を続けてきました。そして現在は息子の信さんとともに、国内外の多くの人たちを巻き込みながら自然保護や環境教育の活動を広げています。こうした「森は海の恋人」の精神や活動は、世界で近年叫ばれるようになったSDGs(持続可能な開発目標)にも通じるもの。時代に先駆けて森・里・川・海のつながりに着目したきっかけや成果、これからも重視すべき自然との向き合い方について、お二人の声をお届けします。

「青い海を取り戻すため、漁師たちが山への植樹をスタート」

重篤さん

カキ漁師の私が山に木を植え始めたきっかけは、50年以上も前にさかのぼります。その頃の日本は戦後の高度経済成長期にあり、工場の建設やまちの整備など都市開発がどんどん進行。農業のあり方も変化し、化学肥料や農薬が大量に使われるようになりました。こうした人間の都合によって、陸側からの工場排水や生活排水が海へ流れ込み、日本中の沿岸部が赤潮で汚染されてきたわけです。

NPO法人「森は海の恋人」理事長の畠山重篤さん

気仙沼は当時、日本最北のノリの産地として有名でした。気仙沼湾に注ぐ大川の河口には干潟が広がっていて、そこで上質なノリが採れたのです。ところが赤潮の影響で、初めにノリの養殖が困難に。海の仕事から陸の仕事に商売替えすることを漁師言葉で「陸(おか)に上がる」と言いますが、その選択を余儀なくされる人が増えてきました。私がカキを育てる舞根湾にも汚染が近づきますが、海の生き物が根っから好きな自分にとって、海から遠ざかる生活はなかなか思い描けません。「もう一度、海本来の姿を取り戻せないだろうか」。そのために何かできることはないかと、地元の漁師たちと一緒に考えるようになります。

カキの養殖いかだが並ぶ気仙沼市唐桑町の舞根湾

全国のカキ産地を見て回れば、どこも川の水が海に注ぐ汽水域。川から流れてくる水の中に、カキのえさとなる植物性プランクトンの養分が多く含まれていることはわかっていました。「森の恵みが川を通じて運ばれ、海と生き物を豊かにする。森と川と海は一つだ」。そう確信していた私は仲間たちと一緒に、流域全体で対策しようとあらゆる関係先に呼びかけました。しかし、当時の組織は縦割りの考え方が強く、ほとんど取り合ってもらえません。それならば、川の流域に住んでいる人たちの意識から変えようと、大川上流の室根山(現在の岩手県一関市室根町)に木を植えることにしたのです。

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「“海を守る森づくり”が人々の意識を変え、世界中から注目される舞根湾に」