RIASWOOD LAB. KESENNUMA代表
小柳 元樹 さん

海と山をつなぐ

ものづくり

木工品を通じて、循環型社会を目指す気仙沼の魅力を全国へ

東日本大震災以降、他地域から気仙沼に移住し、それぞれのスキルを生かした活動を行う若者が多く存在しています。そのひとりが、「RIASWOOD LAB. KESENNUMA」を立ち上げた小柳元樹さん。「海と山をつなぐ木工」をコンセプトに、スローシティに取り組む気仙沼の文化に寄り添った木工品を生み出しています。長崎で生まれ育ち、京都で働いていた小柳さんは、とあるきっかけから気仙沼で東日本大震災のボランティア活動に携わるようになり、このまちに移り住むことを決めました。移住者ならではの視点を生かしながら、ものづくりを通して気仙沼の誇りを発信しようとする思いを聞きました。

「気仙沼が、仕事のやりがいを教えてくれました」

気仙沼に来る前は、京都で建築の仕事をしていました。30歳を目前に、まだ行ったことのない北海道と東北を旅しようと1人旅に出かけ、岩手県の平泉から気仙沼へ向かおうとしていたとき、東日本大震災に遭遇。帰宅難民となりながら、なんとか京都に帰ることができたのは震災の1週間後でした。無事に帰れたのは良かったものの、「気仙沼に行けなかった」という後悔と、京都では周囲の人に震災のことを話してもその衝撃があまり伝わらないギャップにジレンマを抱き続けていました。

RIASWOOD LAB. KESENNUMA代表の小柳元樹さん

改めて気仙沼を訪ねることができたのは、震災から半年が経った頃。知り合いの大学教授から声をかけられ、気仙沼の本吉地域にある仮設住宅の住環境改善を支援するボランティア活動に参加することになったのです。その経験が、私と気仙沼をつなげるきっかけになりました。

活動中は仮設住宅を1軒ずつ回って改善点を調査し、改善作業を行うのですが、“支援活動”というよりも、“お茶っこ”をしている時間の方が長かったかもしれません。ただ一緒に話をすることが、仮設住宅に住む皆さんにとっては喜ばれていたようです。そうした経験を通じて、「誰かに喜んでもらえる仕事がしたい」と感じるようになりました。皆さんに喜んでもらえることが、自分自身の喜びにもつながっていたからです。振り返ってみると、それまでの仕事は何よりも経済優先でした。気仙沼は私にとって、「仕事のやりがい」を教えてくれた大切な場所。これが、気仙沼への移住・定住を決めた大きな理由になりました。

復興には、スピード感が何より大事です。しかしその一方で、もう少しスローなペースでまちづくりや住環境を整えられないかと考えていたのも事実。建築のスキルを持つ私にできることはなんだろう。行き着いたのは、木を使うことで気仙沼のまちや住環境をより良くする仕事ができないかという想いでした。そして生まれたのが、木工品で海と山をつなぐ「RIASWOOD LAB. KESENNUMA」です。

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「木材とスキルを生かし、“循環する社会”を目指す」