スローフード気仙沼 理事長

菅原 昭彦 さん

Slow City

Kesennumaへの歩み

食を通じた「つながり直し」で、心豊かに暮らせるスローシティへ

全国屈指の水産都市として、海と共存してきた宮城県気仙沼市。暖流と寒流が交わる好漁場とリアス海岸特有の地形から海と山の恵みを享受し、独自の食文化や生活様式を育んできました。また気仙沼は、2003年に全国で初めて「スローフード都市宣言」を行ったまち。食を核とした持続可能なまちづくりは世界でも高く評価され、2013年には国内初の「スローシティ」に認証されています。この歩みを支えてきた一人が、市民団体「スローフード気仙沼」の理事長・菅原昭彦さん。市内の伝統ある造り酒屋「男山本店」の代表取締役社長としても地域を見つめ続けてきた菅原さんに、スローシティまでの経緯や展望について伺いました。

「気仙沼の豊かな自然や食を再認識し、
まちの誇りへ変えていこう」

まちづくりの原点とは何か。そう考えた時に、自分たちの暮らす地域に愛着や誇りを持つことが大切だと思うのです。しかしバブル崩壊後の1990年代、気仙沼は地元に対する自信を失いつつあり、まちづくりの方向性が見えなくなっていました。このまちをどうにかしたいという住民の動きはあるものの、地域の実態とかけ離れた取り組みや一過性のイベントが多かったように思います。気仙沼が持続的な発展を遂げるためには、地域に根ざしたものを磨き、それを誇りに変えることが重要。まずは住んでいる自分たちが、気仙沼の魅力に気づかなければいけないと感じていました。

「スローフード気仙沼」理事長の菅原昭彦さん

このように模索している頃、一人の人物と出会います。日本人で初めて国際ソムリエコンクールに入賞を果たした木村克己さんです。木村さんは神戸出身ですが、お祖父さんが気仙沼出身。そのご縁をきっかけに、気仙沼に足を運んでくれるようになりました。そしてある時、われわれに向かって「気仙沼の食材は素晴らしい」と絶賛したのです。「夏にはカツオの刺身が食べられて、秋にはサンマやマツタケがとれて、そうこうしているうちにカキやアワビなども出てくる。年がら年中、しかも同じ食卓に、山と海の恵みが並ぶ場所って、他にないですよ」と。気仙沼の人にとってはあまりにも日常的な食材でしたから、それがこの地域の魅力だと当時は認識していませんでした。そこで木村さんは、こう提案してくれました。「気仙沼の食の素晴らしさを証明するために、超一流のシェフたちを東京から連れてきます。みんなで一緒に、気仙沼の食や自然について考えてみませんか」。

木村さんとの出会いを契機に、2001年には気仙沼商工会議所や青年会議所が中心となって「食のまちづくり協議会」を設立。同年に宮城県から指定を受けた「おいしい地域づくり事業」へと発展します。本事業の一つが、小学校1年生から18歳までを対象にした「プチシェフコンテスト in 気仙沼」です。この料理コンテストは2002年から2021年現在まで毎年行われており、初回からずっとフレンチの巨匠・三國清三シェフが審査委員長を務めてくれています。

さらに地域づくり事業の二つ目として、2002年に「けせんぬま食のまちづくりフォーラム」を開催。そこで料理を作ってくれたのが、イタリア料理の有名シェフ・日高良実さんです。当初は3品ほど用意していただく予定でしたが、イベント前日に気仙沼の自然や食材に触れて刺激を受けた日高さんは、当日に11品も提供。それを食した参加者にアンケートをとってみると、「こんなに素晴らしい食材が、気仙沼にあるとは思わなかった」という声であふれていました。そこでわれわれは、やはり地元の人たちは自分たちのまちの良さに気づいていないのだと実感。しかも「食」というテーマは、誰でも関わりやすいため、地域の人々をつなぐ強力なコミュニケーションツールになると確信したのです。

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「スローフード都市を宣言し、食を核にしたまちづくりが加速」