スローフード気仙沼 理事長
菅原 昭彦 さん
Slow City
Kesennumaへの歩み
「震災を乗り越えて、海とともに生きる“スローシティ”へ」
東日本大震災の津波によって、気仙沼は壊滅的な被害を受けました。復旧・復興を急がなければならない状況ですから、まちづくりにおける「スロー」という言葉はいったん封印し、「持続可能な地域づくり」と表現するようになります。それでもなお、震災前まで気仙沼が誇ってきた自然と食材は、この先も誇れるもの。これらを育んできた生産者も、気仙沼の大きな財産です。しばらくはスローフード運動を進めるのは難しいけれど、その精神性はなんとしても継承へ。一日も早く復旧・復興を果たした上で次のステップに進もうと、気仙沼は一丸となります。
まちの再生にまい進するさなか、大きな転機が訪れます。2013年に気仙沼市が日本で初めて、イタリアに本部を置く国際的組織「チッタ・スロー協会」から「スローシティ」の認証を受けたのです。実はさかのぼること2004年、気仙沼市はイタリア・ジェノバで開催された「第1回スローフィッシュフェスティバル」に参加し、気仙沼の漁業について発信。当時世界では日本の漁業に対する誤解や批判が多かったため、実情は地球環境にやさしい漁業だということを訴えました。特に気仙沼は延縄漁業が中心で、マグロ漁も一網打尽にはしません。地元の漁師さんたちに話を聞いても、未来の海のことまで考えた「持続可能な漁業」を貫いています。こうした漁業文化やこれまでのスローフード都市推進事業が評価されたほか、震災復興支援の一環としてスローシティネットワークへの加盟が認められました。
「スローフード」は民間運動、それを取り入れた都市政策が「スローシティ」。どちらも持続発展可能な社会に向かって、軌を一にするものです。またスローフードの理念の中には、「つながり直し」という言葉があります。人と人のつながり、人と自然のつながり、時代のつながり、世代のつながり。これらを大切にするまちづくりを推進できれば、世代を超えて心豊かに暮らせる気仙沼になるはずです。代々受け継がれてきた自然や文化はもちろんのこと、震災を経て生まれた価値観、Uターン・Iターンによる新しい人材など、気仙沼が誇るべきものはたくさんあります。そして2020年には、中心市街地のにぎわい再生を目指す商業観光施設「ないわん」もオープンしました。内湾地区の顔となる本施設が建つのは、防潮堤の上。地元住民が専門家の力を借りながら、自分たちの生活と海を切り離さずに済むような防潮堤を実現したのです。これからも海とともに生きる「スローシティ」として、まちへの愛着と誇りが育つ気仙沼であり続けたいと願っています。